NHK少年ドラマシリーズについては にのPさんのHP(少年ドラマ伝説) にどうぞ 一覧へ戻る
説 明
この作品について   文芸評論家 瀬沼茂樹
 最初の新聞小説として『悦ちゃん』(昭和11年7月〜12月「報知新聞」に連載)が書かれ、その成功によって獅子文六は新聞小説界の第一人者となり活躍しました。戦前の作品は、どちらかといえば、社会風刺の面を背後につつんで、その結果としての滑稽小説の面を表にたてて、ユーモア小説を強調してみせていて、そこが戦後のものとの大きな違いといえます。
『悦ちゃん』に出てくる流行作詞家、柳 碌太郎は大学の経済学部を出ながら、まともな仕事に就こうとはせず、作詞にふけり、善良ではあるが生活に無能力な変人です。悦ちゃんは、この碌さんが、学生結婚したときの娘で、悦ちゃんの母は病気で亡くなっています。碌さんと悦ちゃんの親娘は、貧しいけれども庶民的な親しみのこもった関係を、軸にしています。しかも、まだ10才の悦ちゃんの純真な心情、正直な論理が碌さんをめぐる人間的葛藤(もつれ)に対する批評になり、ユーモアが醸しだされてきます。
 碌さんの姉夫婦は、中小企業家にありがちな、虚偽と利己主義とにいきているような人物です。碌さんに後妻の世話をしてくれますが、本当に弟の身の上を心配しているのではなく、じつは自分の事業のための融資先わ求めてのことでした。しかも、その後妻の候補者となるカオルは、こういう上流階級にありがちな名誉心や虚栄心から、わがままかってに碌さんを思うままにしようとしているのですし、このために悦ちゃんを寄宿舎にあずけることを結婚の条件としたりする冷たい性情をもっています。ですから、カオルは、きざなエセ作曲家 細野夢月のほうに心をうつしてゆきます。
 悦ちゃんが、その純真な目で、父の妻に、自分の母にと望んだのは、デーパートの売り子の池辺鏡子ですし、この幼い眼力には狂いがありません。鏡子の父は職人で、頑固ですが、また他面には義理人情を心得ています。この指久(さしきゅう)夫婦は模範青年といわれる米屋の次男にだまされて、娘の鏡子を嫁にやろうとして、小説的な波瀾をまきおこします。それにしても、作者は碌さん親娘、指久親娘、こういう庶民的な世界に同情をよせながら、悦ちゃんの立場から、この社会の悪やいつわりを批判し、そこにユーモアをつくっていることがわかります。「笑い」は、こうした人間や社会の矛盾の批判として、内から生まれてくるところに、深い意味があります。
一部要約  ちょっとむづかしい解説でしたネ
表 紙
獅子文六│東京赤坂の自宅にて 昭和四二年一二月


このページは GeoCitiesです 無料ホームページをどうぞ