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表 紙 説 明
秋元書房ジュニアシリーズ77
書 名:恋の手ほどき・い麦
原 題:GIGI ・ LE BLE' EN HERBE
著 者:シドニー=ガブリエル・コレット
訳 者:斎藤正直
初 版:S34.06.10
備 考:映画「恋の手ほどき」(1958年・アメリカ・MGM配給)の原作
     主演:レスリー・キャロン
     監督:ヴィンセント・ミネリ
1958年度アカデミー賞で、作品賞をはじめ10個のオスカー賞を獲得したミュージカル・コメディ。(キネマ旬報DB解説より)

     映画「青い麦」(1953年・フランス・東和配給)の原作
     主演:ピエール・ミシェル・ベック
     監督:クロード・オータン・ララ
フランス女流作家故コレット・ウィリー原作による思春期心理映画。(キネマ旬報DB解説より)
   「恋の手ほどき」について
 この物語は、ジジという15才の女学生が主人公です。ジジは歌手の母とおばあさんの3人でパリに住んでいます。おばあさんは豊かな生活をしていた昔の夢がさめず、ジジも自分と同じ道を歩かせようとします。そのころ、砂糖会社を経営しているガストンというお金持ちがジジの家にきます。おばあさんたちは、ガストンさんにおてんばなジジのめんどうをみてもらおうとしますが、ジジは頑強に反対してみんなをがっかりさせてしまいます。そのくせガストンさんがきらいではなかったのですが………
    主 要 人 物
ジルベルト(ジジ) ――― ジジの愛称でよばれる15才の少女。実業家ガストンのいい人になるように、祖母たちから遠まわしにすすめられるが、ジルベルト自身はほんとうの愛にめざめてゆく。
ガストン・ラシャイユ ―― 精糖会社をもっている社交界の花形。ジルベルトの家に出入りしているうちに、彼女を自分のいい人にしようという気を起こすが、彼女の純粋な愛にうたれて、正式に結婚を申し込む。
アルヴァレス夫人 ――― ジルベルトの祖母。母がわりにジルベルトの面倒を見ている。
アリシア伯母さん ――― アルヴァレス夫人の姉。むかし社交界に出入りしたことのある老婦人で、ジルベルトにいろいろと女としてのたしなみを教えこむ。
アンドレ・アルヴァール ―― ジルベルトの母。オペラ・コミックの二流歌手。
裏 表 紙 巻 頭 ペ ー ジ ( 「恋の手ほどき」 の シ ー ン か ら の カ ッ ト 集 )
   「い麦」について
 この物語は、フィリップという16才の少年とヴァンカという15才の少女の美しい愛の物語です。その年の夏休み、2人は、それぞれの両親につれられて海岸の別荘で過ごしました。2人は幼なじみでした。そして、2人とも、子供でもなく、また大人にもなりきらない不安な年頃でったのです。両親たちの間では、2人を将来結婚させるさせる約束までできていたのでしたが……
    主 要 人 物
フィリップ(フィル) ―― フィルの愛称でよばれる16才と6ヵ月になる少年。毎年夏休みになると海岸にやってきては、幼なじみのヴァンカと兄妹のようにすごす。2人は将来結婚するつもりでいたが、そこへ突然ダルレー夫人が現れると、フィリップはヴァンカを愛しながらダルレー夫人の肉体的な愛に惹かれていく。ダルレー夫人が去ると、フィリップはすべてを自分にささげるヴァンカのもとにふたたびもどってゆく。
ヴ  ァ  ン  カ ―― 蔓日々草(ペルヴァンシュ)ともよばれる15才と6ヵ月になる少女。まだ外見は子供のようだが、すでに女らしい、芯の強さを見せる。フィリップがダルレー夫人と関係があると知った時、彼女は自分のすべてをおしみなくフィリップにささげる。
ダ ル レ ー 夫 人 ―― フイリップたちと同じ海岸にやってきた避暑客。フィリップを肉体的な愛のとりこにする。
リ  ゼ  ッ  ト ―― 8つになるヴァンカの妹。
オードゥベール ――― フイリップの父。フェレ家と共同で毎夏海岸に別荘を借りる。
フ   ェ   レ ――― ヴァンカの父。
   巻 末 訳 者 解 説 よ り
 『恋の手ほどき』(原題:ジジ)、『青い麦』の作者、シドニー=ガブリエル・コレット(1873─1954)は、ジョルジュ・サンド以来のフランスの最大の女流作家といわれる。学校時代の思い出に基づいて書かれた、自伝的色彩の濃い『学校のクローディーヌ』によって有名となり、つづいて「クローディーヌ」ものとよばれる4部作が書かれた。<中略>
 『ジジ』(1943年作)は、15才の少女ジルベルトが大人たちの形式主義の裏をかいて、自分なりに偽りのない愛を発見し、それを生きようとする物語である。むかし社交界の裏舞台にその名を売ったことのあるアリシア伯母さんは、妹のアルヴァレス夫人と計ってジルベルトを知り合いのガストンのいい人になるようにそれとなく勧める。ガストンはパリの社交界の花形であり大金持ちときている。伯母さんたちは、ジルベルトが「うん」と言ってくれればいいがと、気が気ではない。ところがジルベルトは、ガストンに首を横に振ってしまう。いい人になれば、いろいろ人にカゲ口も訊かれなければならないし、いずれは別れなければならないかもしれない。それが悲しい、というのだった。そのくせ彼女は心のなかでガストンに好意を寄せているのだった。ガストンはジルベルトの真情に打たれて、正式に結婚を申し込む……。
 いわゆる《良き時代ベレポク》の華やかなドキ・モンドにただよう哀愁と、その腐敗した雰囲気とを背景にして、ひとりの少女が、かっては栄華を誇った伯母たちに女としてのたしなみを教えこまれてゆくのだが、衣装や、髪型や、宝石などの選び方にみられる伯母たちの洗練された趣味への教えにも、耳を傾ける価値がある。この洗練された趣味は、フランスの小市民の男女間の礼儀作法からさらに精神的な良識へとつうじるものである。
 なお小デュマの戯曲『ドミ・モンド』によって名づけられたこのドミ・モンドという社会がわが国にないことと、この世界独特の風俗の描写や、独特な言葉が用いられているために、翻訳にあたってはかなりの困難を感じたことを申し添えておきたい。
 『青い麦』(1923年作)は、ある夏休みに、16才と15才になる幼なじみの少年と少女とが、避暑地の海岸で子供時代に終わりを告げてゆく過程を描いたものである。フィリップとヴァンカは、両家が共同で一軒の別荘を借りていたので、毎年夏休みになるとその海岸にやってきてはひと夏を一緒にすごすのだった。やがて2人のあいだに、暗黙のうちに将来結婚するという諒解ができる。ところがその夏フィリップは、やはりその海岸地方に避暑に来たダルレー夫人の方にひかれてゆく。彼は肉体的な愛の誘惑にさからうことができずに、ふとしたことで知り合ったそのダルレー夫人に会いにゆく。ヴァンカがそれに気づかないでいるはずはなかった。ヴァンカはフィリップを自分のもとにひきとめておくために、すべてを自分ひとりに求めるべきではないかと主張し、彼にすべてをささげる。
 コレットは、この小説の中で豊かな光と色とに満ちた自然を、彼女の繊細な感覚を通して読者の肌に生々しく感じさせるほどまでに鮮やかにとらえ、そうした自然の中で、大人と呼ぶにはあまりにも若く、子供と呼ぶにはすでに「男と女」にめざめ過ぎた少年と少女とがたたかわせる心理の動きを、心憎いばかりに描いている。魂の画家、コレットにしてはじめて可能なことだと言えよう。


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