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表 紙 説 明
秋元書房ジュニアシリーズ75
書 名:いつか来た道
著 者:衣笠裕士
初 版:S34.05.15
備 考:映画「いつか来た道」(1959年)のオリジナル・シナリオを小説化
     ウィーン少年合唱団の二度目の来日を記念して製作された音楽映画
     主演:山本富士子/和波孝禧
     監督:島耕二  脚本:長谷川公之、島耕二
     制作:大映
     『いつか来た道』について
 甲府市外でぶどう園を経営する池田さやは両親を失い、祖父源太郎と、目の不自由な弟の稔と妹のみよの面倒をみていた。
 さやがとくに気になったのは稔であった。目が不自由でも、普通の人以上に立派に生きる自信と実力を与えたいと、音楽家であった父親の遺志をついで稔にバイオリンを習わせた。そのため点字楽譜を作ったり、週一回東京の先生の所へ稔を連れて行って稽古をさせたり、さやの懸命の努力は実って、稔の腕はめきめき上達していった。
 稔が、コンクールで立派な成績をおさめ、意気揚々と東京からかえって来た日のこと ―― 稔は妹のみよと兄妹喧嘩をはじめた。みよが稔のバイオリンをさわったというのが原因だった。さやはたしなめたが、姉の愛情を稔に独占されるさびしさから、みよが留守中バイオリンを持ち出して覚えようとしていたことは気づかなかった。
 稔はみよもバイオリンが弾けることを心から喜んだ。二人が奏するバイオリンの音が丘いっぱいにひろがっているとき、一枚の絵葉書がとどいた。
 発信地 ―― オーストリヤのウィーン。稔のペン・フレンド、ウィーン少年合唱団のヨハン少年が、近く日本に来るという知らせだ。が、その直後、稔はひどい高熱におそわれた……
裏 表 紙 巻頭ページ( 映画のシーンからのカット集・抜粋 ) 前号の紹介記事より

日程を変更してウィーン少年合唱団は、甲府で
公演することとなった。病床の稔のために
“この道”が合唱されたが…

出典:合唱界(昭和42年発行)  情報提供:F.H.さん
    主 要 人 物
池田さや ―― 池田ぶどう園の姉娘で、両親なき後の弟妹の母がわりとなり、大学進学も結婚もあきらめ、盲目の弟稔のバイオリン教育のために一切を捧げる。
池田  稔 ―― さやの弟。3才の時失明。バイオリニストだった父の血をうけており、バイオリンにその生涯の光明をもとめる。ウィーン少年合唱団の美しいコーラスを耳にしたのが縁で、ヨハン少年とペン・フレンドになる。
池田みよ ―― 稔の妹。はじめ、姉さやの稔に対する配慮からバイオリンを習うことを禁じられるが、後に許されて、ウィーン少年合唱団の甲府公演の時には、病床の兄に代わってバイオリンを弾く。
池田源太郎 ― 池田ぶどう園主。さやたちの祖父。その生涯を甲州ぶどうの改良に打ち込む一徹の老人で、3人の孫をその大きな愛情で包んでいる。
野口時男 ―― 若い高校の音楽教師で、女生徒間に人気がある。盲目の弟に対するさやの愛情にうたれて、稔にバイオリンを教える。
井上勇一 ―― 高校時代からさやを愛している。外語大を出て、甲府市観光課に勤める。稔とヨハン少年の文通を助ける。井上医院の息子。
伊東正雄 ―― 高校時代のさやの同級生で、映画館主の息子。友情に厚く、ウィーン少年合唱団の甲府公演に尽力する。
大場綾子 ―― 高校時代のさやの親友。底抜けに明るい娘で、後に伊東正雄と結婚。
ヨハン・ラインハルトウィーン少年合唱団員。再度日本公演旅行に加わり、海を越えて音楽で結ばれた稔と、稔の死の直前に固い友情の握手をかわす。
    巻 末 解 説 よ り
 この小説は、決して架空の物語ではありません。現実の、二つの事柄を取り上げて、それを組み合わせたものです。
 皆さん。ウィーン少年合唱団の再度の来日公演を知らない人は、恐らくいないと思います。そして、その美しいコーラスを、ステージなり、ラジオ、テレビなりのいずれかで聞かれたことと思います。ご承知のように、ウィーン少年合唱団は、昭和30年の12月と、今年(昭和34年)の3月から4月にかけて、日本各地を公演旅行しましたね。一方、皆さんがたの周囲には、皆さんの同年輩の、たくさんの身体障害者の方がおられることも事実です。この小説は、池田稔という失明の少年バイオリニストと、ウィーン少年合唱団のヨハン少年とが、音楽の美しさによって国境を越えて結ばれた友情がよこ糸となっております。稔君の姉さやは、高校3年の夏に母を失いました。父は、その以前に既に亡くなっているのです。はなやかな夢に満ちた青春の幕が開かれようとするこの年ごろに、母を失ったということは、さやにとって、非常な打撃だったことでしょう。なぜなら、彼女の前に残されたものは、盲目の弟と、まだ幼い妹と、年老いた祖父の3人だけだったのですから。しかし、さやは、けなげな娘でした。彼女は、一切の夢を捨てて、自分に背負わされた母がわりという最も大きな愛に生きて行こうと決心したのです。そして、特に、盲目の弟稔の魂の成長に心をくばったさやは、身体障害者でも普通の人間以上に立派に生きる自信と力を与えてやろうと考えたのです。そして、稔自身も失明の苦難の道を、父から受け継いだバイオリンの才能をのばして行くことによって、明るい人生へのスタートを切ったのです。すぐれた音楽才能を持つ盲目の弟に、献身的な愛情を捧げる姉さやの美しい生き方、これがこの小説のたて糸となっております。そして、この二つの糸のおりなす美しい愛情の世界には、これをとりまく善意に満ちた人々の交流が生まれるのも、当然のことと言えましょう。
 自然の美しさ、音楽の美しさ、姉弟愛の美しさ、友情の美しさ……この小説は、これら美しいものの、四重奏となっておりますが、この美しいずくめの世界を、皆さんは否定なさるでしょうか。作者は、再びくりかえして言いたいと思います。この小説は、決して架空の物語ではありませんと。美しい世界を望まない人は、恐らくいないのではないでしょうか。いかなる苦しみや悲しみがあろうとも、人間は、絶えずその苦しみや悲しみのかなたに、美しい世界を創造して行こうと努力して行くのです。そして、その熱と力が、特に若い人たちの中には満ち満ちているのです。現実には、この小説とは環境が全く異なっているとしても、皆さんもまた、その一人一人がこのような美しい世界への創造の歩みをつづけておられることを作者は信じて疑いません。そうです! 献身の愛と、善意の努力のみが、この世の中を美しくささえているのです。このことは、国境や人種や言語を越えて、人類共通の願いでもあるのです。
 努力によってその苦難に打ち勝つ盲目の少年バイオリニスト、ペンによってかたく結ばれた国際間の友情、どんな不幸にもめげない姉弟愛の強さ……すべてが事実なのです。では、なぜ、作者はこの小説の終わりになって稔少年を死に追いやったのでしょうか? 作者が小説家だからでしょうか? 稔少年の死によってこの小説をおしまいにしたかったからでしょうか? いいえ、そうではありません。小説は死によって終っても、人間は、人間の生きつづけて行く魂は、決して死によって終るものではないのです。稔少年は、姉のさやや祖父源太郎の愛に包まれて、立派に身体障害という苦難の道をのり越えて行ったのです。そして消えることのない天来の声と共に生きつづけているのです。このことを、祖父の源太郎がはっきり言っているのです。このことは、いかなる悲しみによっても打ち消すことのできないことなのです。作者もまた、皆さんに訴えたいのです。死も奪うことのできない人間の愛と勇気の心を!
著    者


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