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表 紙 説 明
秋元書房ジュニアシリーズ60
書 名:まだ早すぎる
原 題:Not Yet
著 者:テレスカ・トーレス
訳 者:斎藤正直
初 版:未入手  再版:S40.09.30
備 考:装幀は編集長の成瀬隼人氏
   『 まだ早すぎる 』に つ い て
 戦争がやがて始まろうとしていた頃、16才のあたしたちはパリの修道院付属女学校に通っていた。ぶかっこうなセーラー服を着てやかましい学校に行くのなんてとてもいやだった。でも、ナタリー先生というとてもきれいな先生が好きだったので、先生の前ではすっかりいい子になりすましていたが、未知の大人の世界についての関心はとどめることができなかった。
「悲しみよこんにちは」以上の傑作といわれる青春文学
 あたしはソフィーといって、その頃、パリの修道院付属女学校に通っていた。これはあたしが17才の時の話だ。戦争がはじまり、ドイツ軍がいつフランスに進入してくるかわからない時だったが、あたしをはじめ、クラスメートの誰もかも青春を楽しむことに一生懸命だった。学校にはナタリー先生というとっても綺麗な女の先生がいた。あたしは、先生を一目見るなりすっかり好きになってしまった。ときには先生への愛の証明のため、修道女になろうと思ったこともあったが青春を犠牲にするかと思うと悲しくなった。
あたしは、毎日、あのずんどうで不格好なセーラー服を着て学校に通い、ナタリー先生の前では、すっかりいい子になりすましていた。しかし、あたしの心に芽生えてきた未知の大人の世界への関心はとどめることができなかった。あたしが、あの人とはじめてくちづけをかわしたことも、あたしが夜のパリをさまよい歩いたことも、ナタリー先生は何も知らなかった。そんなことを知ろうものなら先生は卒倒してしまったかもしれない。あたしばかりでなく、あたしのクラスメートはみな、この年頃に味わう、危険な曲がり角に立っていたのだ。
 やがて、ドイツ軍がパリに押し寄せてきた時、あたし達の青春もなにもかもさらわれていってしまった。あたしにくちづけしたあの人も、ナタリー先生も……そして、あたしとママだけが、人気のないパリに残されていた。
 やがて戦争が終わり、みんな帰ってくるだろう。そして、昔のようにダンスしたり歌を唱ったりするだろう。でも、少女時代のことは一つとしてたちかえらない。あたしの短い青春はこのようにして去ってしまった。
    主 要 人 物
ソフィ ー ―― パリーの修道院の付属女学校に通う16才の少女。5人グループの中心人物で、校長先生からはにらまれていたが、純潔でやさしく、大胆でチャメッ気があり、みんなから愛される。未知のこと、とくに愛とは何であろうかという疑問に強い好奇心を示し、いろいろなことに首を突っ込む。しかし、最後までいつわりの愛に溺れないしんのある少女。
イザベル ―― グループの中のひとり。元気のいい少女。しかし、戦争の不幸につきまとわれ、悲しい愛を経験して死ぬ。
シモーヌ ―― グループの中のひとり。パリーに留学するルーマニア人に遇って、不幸な恋愛をする。
ア ン ヌ ―― グループの中のひとり。貴族の出で、信仰心あつく、修道女になる。
アントワネットグループの中のひとり。常識家だが、みんなの予想に反していちばん早く結婚する。
ベ   ラ ―― ソフィーのパパの恋人。有名な舞台女優。
ナタリー先生新任の美しい先生。ソフィーを特別可愛がる。
ダンカン ―― パリーに留学するアメリカ人の若い画家。ソフィーを妹のように愛する。
ジェラール ― アントワネットの兄。士官学校出の若い将校。ソフィーに魅せられる。
    紹 介 記 事 か ら の 解 説 よ り
 この小説は第二次大戦の勃発から、ドイツ軍のパリー侵入までを背景として、パリーの街にくりひろげられた、愛をめぐっての少女たちの物語です。
 戦争といえば、わたくしたちの記憶にも残っていますように、暗い不安な時代ですが、ソフィーたちの物語もやはり不幸で異常なものでした。しかし、ソフィーたちの人生は平和な時代にはとても想像できないものかというと、必ずしもそうとばかりは言えないようです。もともと少女時代から大人になる時期は、不安や疑問にみちたものであり、彼女たちの人生がいくらか異常に思われるのは、そこに戦争という大きな不幸がかさなったからだと見ることができるでしょう。もちろん、全篇に流れている戦争に対するはげしい抗議は見逃すわけにはゆきません。
 小説の登場人物は、つねに読者の批判を求めているものですから、みなさんもソフィーたち5人の生き方をよく考えてみてください。たとえば、街の中で偶然にであった青年と付き合うシモーヌに、何かしら危険なものを感じなかったでしょうか。自我にめざめる ── それは大変むずかしいことですが、ほんとうの意味で大人になることです。ところが、シモーヌは自分がどんなことをしているのかもわからずに、相手の言うなりになってしまいました。彼女がほんとうの愛に生きるためには、もっと精神的な成長が必要だったわけです。
 自分の行動にはっきりした自覚をもっていたのがソフィーです。彼女は未知の世界に強い好奇心をみせ、いろいろな冒険をやってのけますが、愛とは何であるかという疑問がとけないうちは、誰の愛もうけいれませんでした。それは、シモーヌやイザベルと比べてみればよくわかりますように、愛を大切にした、ということではなかったでしょうか。彼女のように、自分自身と現実とを正しくみつめ、なんでも自分でよく考えてから行動するということは、みなさんの日常生活にも大切なことだと思います。しかし、ときには大人の相談相手が必要だということも忘れるべきではないでしょう。


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