表 紙 説 明
秋元文庫加藤諦三文庫 A4
中一 ─ あばれん坊時代
中二 ─ おれってなんだろう
中三 ─ 玲子ちゃんの涙
高一 ─ 負けどおし
高二 ─ なんてすばらしい人
高三 ─ ついに敗る
書 名:高校生日記  (高校生日記/加藤諦三 青春記)扉ページに記載
著 者:加藤諦三     
初 版:S48.06.30
備 考:B6判美装本あり  秋元書房ジュニアシリーズ 244
 かけがえのない青春の記念塔、
著者自身の中学高校時代の波瀾にとんだ告白記


  高校生に告ぐ
 今、きみたちは自分がどんなすばらしい人生の時代に生きているか気がついていない。残念ながら、人は青春が過ぎ去ってからでなければ、青春がどんなに美しいものかを知ることはできないのである。
 十代のときには、なにかに感激してホロホロと泣くことがてきる。しかし、年老いてからでは、うれしさをおさえきれずに肩をふるわせて友達と抱きあうことができない。ある詩人は、「本当の恋ができるのは、十代のときだけである」といった。それは、お金も名誉も、生活の安定も、未来の障害も考えずに、ただ「恋しい」というだけの理由で、その恋に没入していかれるのが十代だけだというのだろう。純粋な恋は、その当時でなければできないというのである。
 恋をしても年をとる、恋をしなくても年をとる。
 それならば恋をしなくては損であろう。しかも、年とってからでは恋はできないのである。
 今、ぼくは恋を例にとったが、恋でなくてもなんでもそうである。冒険だってそうだ、友情だってそうだ。高校時代の友人の集まりに、なぜ、功なり名とげた重役が、忙しい中を無理して集まるかをきみたちはわかっているか。その時代の友情が純粋だからである。
 そして、この時代に、それを得なければ、生涯それは得られないのである。きみたちが、しっかりと考えねばならぬことは、冒険をしても人間は死ぬし、冒険をしなくても人間は死ぬ、ということだ。青春を謳歌した人も、青春を謳歌しない人も、同じように年をとり、同じように死んでいくのだ。
 青春のよろこびを味わった人間だけが死ぬというなら、よろこびを味わうのも考えものだろう。だが、結局は皆死ぬのである。
 青春は短い。青春ははかない。すぐ終る。すぐに終わらないと思っているのは、諸君が青春の中にいるからだ。夜、夢を見ている最中に、夢は、はかないとは思わない。夢が、はかないと思うのは、夢からさめたときだ。それと同じで青春がはかないし思うのは青春が終わったときだ。
 ぼくは、朝のラッシュの丸の内のサラリーマンを見るとき、こんな人間になるために、犠牲にするには青春はあまりにも美しいと思う。
 きみが、今やらねばならぬことは、今、きみがもっともやりたいことだ。もっとも生き甲斐を感じることだ。
 受験に生き甲斐を感じる人間は、おおいに受験をやれ。人がエゴイストだ、点取り虫だ、などといったってかまわない。徹底的に受験に没頭することだ。人のいうことなんか気にしていたら青春は味わえぬ。
 受験がくだらぬと思う人間は、決して受験などやるな、クラブ活動でも何でも他のことをやることだ。
 いいたいことはたくさんあるが紙面のつごうでいえない。あとは「生きる─青春は俺のもの」(大和書房)という名のぼくの本を読んでくれ。
 なお、中学時代については、そのままの事実であるが、高校時代については、一部仮名を用いたところと、創作のところがあることを、おことわりしておく。
加 藤 諦 三