表 紙 説 明
YOUNG・シリーズ E11
書 名:自転車野郎世界を行く
著 者:浜村紀道
初 版:S49.12.20
備 考:
これは自転車で男ひとり、世界を一周した、ガッツな自転車野郎・浜村紀道のロマンと冒険と汗と涙の記録である。

彼は昭和43年9月  7日 横浜港を出港、
   昭和48年8月24日 羽田空港に到着するまで、

実に5年という歳月を費やして、
世界を股にかけ走破したのである。

自転車走行距離  約28,000キロメートル
全   行   程  約70,000キロメートル
(飛行機、船、自転車、汽車、ヒッチハイク等)
     あ と が き よ り
 思えばこの5年間という年月は、僕の人生にとってまさにかけがえのない貴重な経験となった。出発した時が24歳、日本へ帰った時は29歳になっていた。まさに、青春そのものであり、二度とない青春を燃焼しつくしたという点で悔いがない。
 今はただやっと帰れた≠ニいうのが偽わらざる心境である。今回の旅が自分で選んだ道だったとしても、厳しい試練に何度ネをあげかけた事だろう。そのたびに、なぜ なぜこんなつまらない事を始めたんだ、何度自分自身を責めたことだろう。
 そういう時の心の支えになったのは、暖かい友人、先生、家族たちの励ましであった。もちろん、和子の存在も大きかった。
 僕の旅は、最初から最後まで、忍耐、忍耐、忍耐、でしかなかった。もちろん、自転車旅行という大きなハンデを自ら背負っての旅であるから、それなりの覚悟はしていたが、現実は想像以上に過酷であった。実際、下手をすれば命を落としていたかも知れない場面には何度も遭遇したのである。
 出発直前になって、自転車野郎にとって致命的な痔の手術を余儀なくされ、ロンドンで帰国せよとの勧告を受けた時は死刑の宣告に等しいものだった。この病は最後まで尾を引いて大きなハンデとなった。しかし、帰国後直ちに約束通り川堀先生の執刀により手術を受け、一ヵ月の入院生活の後にやっと5年間の因果関係に終止符をうつことができた。
 世界51ヵ国を歴訪して学んだことは、究極のところただ一つ、人間の善意であり、心と心の触れ合いによる愛であった。善意には国境はない。愛に国境はない。人間愛こそ国を超越した絆をつくり得ることを確認し得たのである。
 そして、異国にあって日本を思う時、日本こそ世界で一番良い国であると痛感せずに居れなかった。日本人であることの誇り、それは、今まで感じたことのない祖国愛にほかならなかった。
 貧乏旅行には、お金を生み出す知恵も必要だった。そして、お金の大切さを身にしみて感じさせられた。僕は、文なしで5年間を過ごし、羽田についた時もまた文なしであった。しかし、ここから得た体験は何事にも変えがたい貴重な財産であると思う。
   《 後 略 》
1974年10月 長野県戸隠村にて
浜 村  紀 道