表 紙 説 明
秋元文庫映画化シリーズD3
書 名:3月生れ
原 題:NATA DI MARZO
著 者:アントニオ・ピエトランジェリ
訳 者:若城希伊子
初 版:S48.10.30
備 考:B6判あり 秋元書房ジュニア・シリーズ66
     映画「3月生れ」(1958年・イタリア)の原作
     主演:ジャクリーヌ・ササール
     監督:アントニオ・ピエトランジェリ
 イタリアの三月は、気候がとても変わりやすい。イタリアでは三月生れの女性は、その天気のように気まぐれでわがままだそうです。
 フランチェスカは、典型的な三月生れ。大学1年生で、ひとり娘です。ある日、電車の中で、ハンサムな青年建築技師と知り合い、たちまちお熱を上げて、結婚すると言いだしましたが、さて……

文中ページに映画のカットシーン多数収録
    主 要 人 物
フランチェスカ・ジョルダーンこの小説の主人公。ミラノ大学法学部1年生で18才。3月生まれである。その性質も、イタリアの3月の気候のように気まぐれで、わがまま。一人っ子で、母と祖母と三人ぐらしである。
ジョヴァンナ・ジョルダーン ―― フランチェスカの母で衣装店を経営している。夫に早く死なれ、一人娘のフランチェスカを苦労して育てあげた。
ア ル ミ ダ ――― ジョルダーン家に昔からいる女中で、家族と同様にあつかわれている。
アレキサンドロ・グリソリア ―― (サンドロ)ハンサムな青年建築技師。電車の中で、フランチェスカと知り合い、やがて結婚するが、彼女の気まぐれに手をやく。
カ  ル  ロ ――― ミラノ大学法学部の学生で、フランチェスカのボーイフレンド。
ネツラ・サンピエーリ ―― フランチェスカ夫婦と同じアパートに住んでいる店員上がりの女性。金持ちの商人ティートと結婚する。
シ モ ー ナ ――― スイスの一流デザイナーで、サンドロの古い友達。
アイーダ、カルメラ、イネスフランチェスカ夫婦にやとわれた女中たち。
   巻 末 訳 者 解 説 よ り
 大人になるということは恐ろしいことでしょうか。それとも大変たのしいことでしょうか。
 むかしから人生は複雑なものだといいます。あまく、からく、そして時にはしぶかったりする複雑なこの世の味がほんとうにわかるのには、やっぱり大人にならなければ無理なことだといわれます。
『三月生れ』の主人公、フランチェスカはこのお話のなかで大人になるのです。今年18才、ミラノ大学法学部1年に在学中のフランチェスカは、ある時、電車の中で知りあった12才も年上の建築技師サンドロとたちまちのうちに仲よくなり、あっという間に結婚へゴールインしてしまいます。
 彼女の性格は自由奔放。気まぐれで大いにあまのじゃくな三月生れ≠フ現代娘なのですが……。
 もともと、イタリアの3月は、1年中でもっとも気候の変わりやすい月、だからイタリアでは3月に生まれた女性は気まぐれで勝ち気なわがまま娘だということになっています。
 フランチェスカはそういう三月生れ≠フ代表のような、青春そのままのハイティーン。突然とびこんだ結婚生活がおだやかにすぎてゆくはずがありません。もうすっかり大人で、世の中の味を十分に知っているはずのサンドロの操縦をもってしても、このあばれ馬のようなフランチェスカの気まぐれ病は度をますばかり、はては連日の夫婦喧嘩となり、二人はついに別居生活をしなければならないようになります。
 一人になったフランチェスカは、まず経済的な独立を要求されますし、否応なしに今までの自分を反省させられてゆきます。この間に彼女は一人住む身のわびしさといったものを、生れて始めてしみじみと痛感するのです。
 孤独を知った彼女は、別れた夫サンドロを、その心の底で恋しく思うようになるのですが、三月生れ≠フ性格は一向に直っていません。たまたま話しにきた夫に向かって、彼女は自分には以前から親しくしていた恋人があるのだと言ってしまいます。それは、いままでの彼女のうそとは違って、彼女自信の人間価値にかかわるあやまち、つまり妻の身のけがれということになってしまうのですが……。
 フランチェスカは、そこで始めてこの世には絶対にゆるされない種類の行為があることに気づきます。すでに夫のある妻とよばれる身が、他の男性に心をなびかせるということは、夫にとっては耐え難い屈辱であるに違いありません。たとえ、うそにしろ、彼女は夫の気持ちをためすために大変ないつわりを述べ、更にそれを裏付ける行為をしようとまでしたのです。大学時代の友人のカルロはその彼女の気まぐれの相手に選ばれるのですが、彼もまた、そういう彼女の魅力に強く心をひかれています。幸いにして本当にまちがいはおこらず、彼女の心の奥底にいつも息づいている真実の声がフランチェスカに夫への素直な愛を教えて、彼女はふたたび夫サンドロの胸にとびこんでゆきます。
 ほんの1年余りのできごとにすぎないのです。普通の夫婦ならおそらく15年ぐらいの間に経験するすべてのことを、この夫婦はあっという間に知ってしまうわけです。
 この女主人公のことを親たちは災難が一緒に住んでいるのだ≠ネどと言います。でもこの気まぐれな性格の持ち主は、見ようによってはまことにのびのびとした天真爛漫な子供に違いないのです。世の中にこわいものは何一つない舞台の上でちょっとお芝居でもしてみるつもりで、自分の思いつきはどんどんやってみせる。ところが、それは、いつか、うそ、いつわりということになり、世間の大人たちの方が煙にまかれてしまう。まことに困った存在のようですが、そういう彼女の行動半径の大きさが、たった1年あまりの短い間に、これだけの体験を与える原因になっています。彼女は三月生れ≠セからこそ、これだけの事件をおこし、さまざまな人間生活にぶつかることか出来たのではないでしょうか。この短い間に彼女は大人に成長することのきびしさとむつかしさをいやというほど味わうはずです。
 さまざまな矛盾をはらんでいるフランチェスカの性質、それは彼女の場合、大変な魅力となって男性の心を強くひきつけます。うそ、いつわりは悪徳の一つに違いありませんが、この人間社会の中で、時にとっての小さいうそは、まことに面白い生活演技の方法といえましょう。すでに大人であるサンドロが、彼女の魅力に強く心ひかれたのも、カラカラにひからびた大人の日常生活の中で、たくみに演技される気まぐれの新鮮さに驚かされたためとも思えます
うそからでたまこと<tランチェスカは、自分の気まぐれの結果から人生の真理を掴まえて立派な大人に成長してゆきます。
 いままで子供だった少女が、急に一人前の奥さまになる。まことに愉快なことであり、奇妙なことではないでしょうか。そう思えば隣の家に赤ちゃんが生れるのも、見ず知らずの人同士が、いつの間にか結婚してしまうのもおかしなものに思えてくるものです。毎日毎日まじめな顔ですごしている日常が、愉快なことの連続ともなってきます。そしてこの物語は、そういう人間生活のおかしさを、はっきりとらえた物語ともいえます。
 なお、アントニオ・ピエトランジェリ監督による映画三月生れ≠ナは芽ばえ≠フジャクリーヌ・ササールがフランチェスカに扮して彼女自身のみごとな成長ぶりを遺憾なく発揮しています。彼女はこの映画で1958年度サンセバスチアン映画祭最優秀女優主演賞≠獲得していますが、ササールの演技の自然さが、そのままフランチェスカのみずみずしい魅力になって、この映画を成功させています。
笑い≠ヘ、生活の中になくてはならぬものです。そして笑い≠ヘ、その人の自然の魅力が生みだすものだということを、フランチェスカは教えてくれるでしょう。
若 城 希 伊 子